「大作曲家の生涯と、そのつながりを探る」先月から1ヶ月ごとに開かれている恩師の講座を今月も受講してきました。
3回シリーズのうちの第2回目、ベートーヴェンについてのお話です。サブタイトルは、
『楽聖ベートーヴェンは気むずかし屋で変わり者??』
ベートーヴェンといえば耳が聞こえない作曲家で有名ですが、数々の名曲を残していますね。どんな人だったのでしょうか。
ベートーヴェンについて
ベートーヴェンはモーツァルトと同じように幼少期から音楽の教育を受けて育ちました。父から受けた音楽教育はとてもスパルタで、食事を抜かれたり夜中でも起こされて練習を強いられるものだったようです。ベートーヴェンの父はベートーヴェンを天才モーツァルトのようにしたかったのだとか!
そんな教育にピアノを弾くのが嫌いになるほどでしたが、サリエリやハイドンなど演奏家や作曲家に弟子入りしながら音楽家として成長していきました。16〜17歳の頃に当時30歳を迎えたモーツァルトを訪ね、演奏を聴いてもらう機会があったようですが、色々な事情でモーツァルトへの弟子入りは叶いませんでした。
28歳の頃から難聴の症状が出始め、次第に耳は聞こえなくなってしまいました。(耳硬化症という病気だったのではないかと言われています)ピアノソナタ「悲愴」も難聴になった頃に書かれました。
しかしその後もベートーヴェンは名曲を立て続けに発表し、交響曲・ピアノソナタ・オペラなど発病したのち完全に耳が聞こえなくなってからでも数々の名曲を残しています。交響曲「運命」は代表的な作品ですね。
交響曲第九番(通称「第九」歓喜の歌)も晩年の作品ですが、今でも年末になるとよく聴きます。
ベートーヴェンは身なりにはとても無頓着で、家からふらりと出かけると2.3日は帰ってこないこともあり、浮浪者と間違えられて捕まってしまったこともあるそうです。
また癇癪持ちで部屋も片付けることはなく、住めなくなったら引越しを繰り返し…なんと生涯で79回も住む場所を変えていたようです。ご近所トラブルや、曲が頭に浮かんだら部屋の壁に書いてしまって大家さんに叱られたのも原因のようです。
それでも壁に曲を書き続け、仕舞いには大家さんが壁に紙を貼っておくとそこにベートーヴェンが曲を書き、大家さんがこっそり誰かに売るなんてこともあったとか…
こんなエピソードから変わり者と呼ばれたベートーヴェンですが、家に遊びに来た子どもに喜んで、お菓子を振る舞ってお話を楽しんだという純粋な一面もあったようです。
ベートーヴェンの弟子にカール・ツェルニーがいます。あのツェルニー◯番練習曲でおなじみの人物です。そしてそのツェルニーに師事したのがピアノの魔術師と呼ばれたフランツ・リストです。
作曲家が繋がっていきますね。
・・余談ですがこの時代にメトロノームができて、ベートーヴェンはメトロノームをとても気に入って使っていたようですよ🎶
最後に恩師のお話しより…
ベートーヴェンはモーツァルトのように天才的にすぐに曲を書けた訳ではなく、曲を書いてからも修正に修正を重ねて作曲していました。
気難しいと言われた彼ですが、こだわって何度も書き直されたメロディーや和声の移り変わりを、我々も1音1音応えるように大切に弾かなければなりません。
2022.11.30
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